2019年9月28日土曜日

AAに参加

今日は神奈川県立精神医療センターより、横浜のAAに参加。

初心者二人を引き連れて、経験と力と希望グループに参加しました。








思ったのは、自分がAAで話す過去の話が、AAの場には合わないな、ということ。これまで10回ほどAAに参加させて頂いたが、全て自分の辛くて悲しい過去を話した。

だから僕はアルコール使用障害になったのだと。

どこか、酒を飲む自分を認めてもらいたい気持ちがあるような気がする。そう話すから、酒を辞めようという気持ちがなくなるのではないか?と考えるようになった。

これはほんの少しだけだけど変化だと思う。

過去の悲しい出来事と、自分が現在進行形で抱えているアルコール使用障害とは分けて考えるべきかもしれない、いや、多分そうだ。

今日はそれに気づけたことが収穫。
次回のミーティングからは、過去の悲しい出来事をひけらかすのはやめてみようと思う。

最初は、話足りない気分かも知れないが、そういうのは遺族会で話すべきものとして割り切る練習にもなる。

僕達のように身内の自死からアルコール薬物依存に陥った人間は、普通のアルコホーリクスとは異質だ。でも根本は身体的依存から来る現在の問題の方が大事だ。

そんな事を考えつつ、病室へ帰るバスの中である。

今日あった自分にとって良かったこと

・上記のように少し考えてみるキッカケを得たこと
・開発しているアプリの通知機能が一旦開発環境で動くようになったこと
・今日も一日飲まずに済みそうなこと

今日で断酒してから44日目。
入院してるから当たり前なんだけど、自分の場合、入院中でも月一回ペースで飲酒していたから、これは大きな記録だ。

次回はどこへいこう。
疲れすぎないように気をつけよう。

2019年9月3日火曜日

アルコール依存症の診断基準6項目 ICD10について

アルコール使用障害の診断基準6項目

アルコール使用障害とは、アルコール依存症の別名ある。まだ「アルコール依存症」や「アル中」といった言葉が一般的だが、私の紹介状や診断書には「アルコール使用障害」と書かれていた。
アルコール依存症、アルコール使用障害、アル中どれも同じような人間を指す。
とりあえずここではまだ一般的な「アルコール依存症」という言葉を使っていくこととする。

WHOによって定義されているアルコール依存症の診断基準であるICD10という基準がある。

それによれば以下6項目のうち3項目以上に該当する人間はアルコール依存症である、と診断される。

ICD10の6項目

  1. お酒を飲めない状況でも強い飲酒欲求を感じたことがある。
  2. 自分の意思に反して、お酒を飲み始め、予定より長い時間飲み続けたことがある。あるいは予定よりたくさん飲んでしまったことがある。
  3. お酒の飲む量を減らしたり、やめたりするとき、手が震える、汗をかく、眠れない、不安になるなどの症状がでたことがある。
  4. 飲酒を続けることで、お酒に強くなった、あるいは、高揚感を得るのに必要なお酒の量が増えた。
  5. 飲酒のために仕事、付き合い、趣味、スポーツなどの大切なことをあきらめたり、大幅に減らしたりした。
  6. お酒の飲みすぎによる身体や心の病気がありながら、また、それがお酒の飲みすぎのせいだと知りながら、それでもお酒を飲み続けた。
以上6項目を自分の場合どうだったかを含めて考えてみる
1.のお酒を飲めない状況でも強い飲酒欲求を感じたことがあるか?という点だが、私は職場では飲まなかった。趣味でバイクに乗っていたが、乗る予定がある時は飲まないで準備していた。その代わり、職場に行かなくなった。これは5.の「飲酒のために仕事、付き合い、趣味、スポーツなどの大切なことを諦めたり大幅にへらしたりした」に当たるのだと思う。

2.の「お酒を飲み始め、予定より長い時間飲み続けたことがある。あるいは予定よりたくさん飲んでしまったことがある」これもたしかにあった。2杯で済まそうと思ったハイボールも気がつけば5杯飲むようになっていた、なんてことはザラだ。

と、こんな感じで自分の飲酒を振り返るとICD10の6項目のうち、4項目が当てはまったので、私はアルコール依存症ということになる。

当てはまらなかったのは1.と4.の項目だけであとは全部見に覚えがある。

アルコール依存症と言われたのは

正式にそう診断を受けたのは東京医療センターである。私が膵炎を患って救急搬送され、いわゆるお酒の飲み方に問題があると指摘された。

私は自分で自分をもうアルコール依存症の末期状態にあることを自覚していた・・・。

平日の朝からサントリーのハイボールを飲み、出社したり、欠勤したりした。せっかく入った大企業で世界的に有名な企業に中途入社して1ヶ月が過ぎたあたりからそれがひどくなっていった。ついには少し腹部の痛みを感じるようになり、それを理由に連日の欠勤。欠勤したからには朝から晩まで飲み続けた。そして急性膵炎で14日の入院、退院してしばらく禁酒しても、その後また連続飲酒状態に入り、急性膵炎の再発。2回目の東京医療センター入院だった。

ここまで来るともはや、問題的な飲酒であることを周囲が認めるようになった。
私自身自分はすでにアルコール依存症という不治の病にかかっていることを自覚していたが。

続きはまた次回

参考

アルコール依存症の診断基準 | 特定非営利活動法人ASK

2019年8月26日月曜日

【悲しみの】FTR223、売却しました【記録】

FTR223、売却しました

このブログを読んでくださっている方はなんとなく察していると思いますが、実は私、とある精神障害のために入院することになってしまいました。
その名も「アルコール依存症」、最近では「アルコール使用障害」というふうに言い換える風潮もありますが、2年前から私はこの病気と戦い、入退院を繰り返してきました。

それゆえ、通院などもしていたのですが、安定剤などを飲んでバイクを運転するわけにもいかず、その安定剤がここのところものすごい勢いで必要になるようになってしまって、結局入院、一時は生活保護を受けようかと考えました。

そこで、生活保護を受けるにあたってバイクなどは所有してはならない、という規定があったのと、自分の病状がかなり進んでしまっていたので、もうしばらくバイクには乗らない方がいいだろう、と。


そして売却を決意


売却先はバイク買取金額掲載中のバイクブーンさんでした。

私の乗っていたFTR223は25の時に中古で買ったのですが、2003年式とわりと古いタイプでした。買った当初は13000kmほど走行したものでした。


【2019年6月29日追記】旅のお供 Honda FTR223(2003年式)について


それから4年間。
走行距離は34000kmを超えており、泥除けのスカートにはすっかり旅先のご当地ステッカーがたくさん貼られていました。
タンクも長旅の影響で傷だらけ、パイプもサビだらけという酷い状態でしたが、走れば力強く走ってくれたFTR223。
売却価格は3000円くらいいけばいいだろうと思っていましたが、意外にも1万円で買い取られました。

買い取られていく時に私はそれが悲しくて、それを見ないようにコンビニに走り、ハイボールを煽って自分の人生を呪いました。

今、M沢病院の閉鎖病棟に入院して、11日目になります。
バイクを手放したことはとても悲しいことでしたが、今の自分には必要な選択だったと信じています。

この病院を退院したあと、同棲していた彼女とは分かれ、一人暮らしに戻ることは家族とも、彼女とも話し合って決めました。
具体的に退院後すぐにどうなるのかはまだ未定ですが、もしかしたらまた3ヶ月のプログラム入院をするかもしれませんし、でも自分としては何回もプログラム入院をしてこのアル中状態なんだから、昼間活動するようなデイケア施設に通所できればいいな、とか考えています。

とにかく回復を、毎日AAへ

まずは、とにかく回復して、それから一人暮らしに戻り、アルバイトなどをして生計を立てられるようにしたいです。それが今の目標です。

そして自分が回復した、もう大丈夫だろう、と思ったら酒には走らず、またバイクに走りたいと考えています。
それがいつのことになるのか、わからないけれど、もういい加減にアルコホーリックからは卒業しなければならないと思っています。
思っているだけでは無理なので、可能な限り毎日AAに通う心づもりでいます。

FTR223を失ったことは悲しいけれど、これは回復に必要なステップの一つなんだと、自分に言い聞かせて回復を目指したいと思います。

FTR223。F子。

ありがとうございました。




この本の文庫版を今ひたすら読み返しています。もしも同じようにアルコールで悩んでいる方がいましたら、買って読んでみることをおすすめします。 なんとなく希望が見えてきます。

2019年8月24日土曜日

私はアルコール依存症

アルコール依存症と診断されてもう1年くらいになろうか。

入院歴
・久里浜医療センター
・信濃病院
・東京医療センター
・松沢病院

となる。

今はその松沢病院に入院中である。
この中で一番良かったのは信濃病院だ。
一番長く酒を辞められた。

と言っても3ヶ月程度でスリップし、その後また3ヶ月入院したので半年になった。

信濃病院は開放病棟で、タバコには寛容だった。
ただし2019年7月から喫煙所がなくなった。外に散歩する申請をして吸いに行かなければならない。

最初は観察病棟というところに入れられるのだが、外に出られる許可はもらえないので禁煙に耐えることになる。

これから定期的に私のアルコール依存症遍歴についてこのブログで語ろうと思う。

2019年8月21日水曜日

何故かAdsenseの支払いが保留になっている件・・・

何故か8月のAdsenseの支払いが保留になっている件


そう、結構恥ずかしい画像なのだが、私のAdsenseの支払いが何故か保留となっている。

そこでAdsenseというキーワードでGmailを検索したところ、下記メールが、7/29に届いていた。

 

お客様

本日は Google サイト運営者様向けポリシー レポートをお送りいたします。お客様のウェブサイトの特定のページで見つかったポリシー違反に関連する最近のアクティビティをご確認ください。違反措置の適用状況は随時変更される可能性があります。現在適用されている違反については、AdSense ポリシーセンターの [ページ単位の違反措置] をご覧ください。

サイト全体またはアカウントのレベルで発生した違反については、このレポートに含まれませんのでご了承ください。サイトやアカウントのレベルで違反があった場合は、別途メールでお知らせすることがあります。ページ単位であれサイト単位であれ、ポリシー違反がなかった部分については広告掲載が続行されます。

過去 24 時間の情報:

  • 新たな違反が検出されましたAdSense プログラム ポリシーへの違反が見つかったページでは、広告掲載が制限または停止されています。この問題を解決するには、違反しているコンテンツを削除して、審査をリクエストしていただくか、違反しているページから広告コードを削除する必要があります。

ポリシー施行の詳細については、AdSense ヘルプセンターでご確認いただけます。プログラム ポリシーについて詳しくは、AdSense プログラム ポリシーをご覧ください。

何卒よろしくお願い申し上げます。
Google サイト運営者向けポリシー



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7/29、私は東京医療センターに入院しており、特に違法なことをした記憶がない。

一体何が起きたのか。

疑わしいものを列挙していくと、、、

確かにこれは上の画像でも出ていた。。。。

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認定された広告枠(ads.txt)

AdSense サイト運営者様がご自身のドメインで ads.txt を使用する場合、サイト運営者様が広告枠の認定販売者として含まれていることが必要です。詳しくは、自サイトの広告枠の認定販売者を ads.txt で宣言するをご確認ください。
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一応、ポリシーセンターにもアクセス

すると、、、

7/29にポリシー違反があったと言っておきながら「ポリシー違反は見つかりませんでした」とある。

うーむ、そうするとやはりads.txtの問題か。一応サーバーにはads.txtはアップロードしたものの、「変更が反映されるまで数日かかる場合があります」とのこと。

これじゃあ困る・・・、というかいつの間にこんな仕様変更があったのか・・・。


とりあえず、Adsense様のメールはこれから注視していくように心がけたいと思います。











2019年7月8日月曜日

祖父から聞いた名古屋大空襲

祖父が亡くなって、もう10年になる。

母方の祖父が私は大好きで、毎年夏になると祖父宅に滞在し、一緒に畑仕事をしたものだ。
ただ、亡くなる2年前からは肺ガンと、恐れていた認知症が出始めた。母は苦労した。

認知症というものは恐ろしいもので最近の記憶が覚えられないのだ。そして、何かが頭の中でリンクした時に言動に現れる。いわゆる「せん妄」である。

長野県岡谷市に住んでいた私の祖父は、その昔から共産党党員であった。若い頃は喧嘩も相当していたようだ。特にひどかったのは公明党の支持母体である「創価学会」である。
祖父は注射をされようとしたときに、何かの記憶にリンクしたのか、「貴様ら!学会のモノか!!」と叫び、暴れまわったようだ。それを見た母は相当パニックになったという。

でも、祖父は、少なくとも私の前ではそのような素振りを見せなかった。顔立ちはイケメンだった。「岡谷のアラン・ドロン」と昔は言われていたらしい。本人はさして気にもとめなかった。
僕は7歳の時、岡谷市に住んだ。祖父が大好きだった。祖父はキノコも作っていたし、借りている畑で大根を作っていた。時々祖父とともに畑に作業をしに行った。

8歳になると、父の仕事の関係から山梨県に居を移すことになるのだが、山梨のイジメは壮絶だった。家族ぐるみでやる。陰湿で、教員は見てみぬふり。僕は完全に山梨嫌いに成長していった。常に「岡谷に帰りたい」が口癖だった。

岡谷に帰れば、安タバコの匂いがする祖父に会える、そして祖父はいつも言葉少なげに、僕と話してくれた。僕はいつか大人になったら祖父と並んでタバコとお茶を嗜む、そんな未来を描いていた。だが、そうなる前に祖父は亡くなってしまった・・・。

祖父は名古屋空襲に遭った


僕は戦争の話を聞くのが好きだった。好きなのもあるが、少しでも祖父が体験したものを感じたいと思っていた。祖父はあまりしゃべらないが、「B-29に体当たりした戦闘機を見た」「日本の高射砲が、撃って、そのまま街に落ちてきた」と徐々に語り始めた。

「おじいちゃんは、名古屋でなんの仕事をしていたの」
「戦闘機のタイヤを作っていた」

この事から、愛知航空機の工場で働いていたのではないかと推測される。

そして、名古屋の空襲の時の話も聞いてみた。

祖父は、少しの沈黙のあとにぽつりぽつり、語り始めた。

川に行っても、黒焦げの死体がたくさんあった
「味方の高射砲隊が、高射砲を撃つんだけど、B29には当たらなくて、そのまま街に落ちてきた、そこで爆発した」
「味方の戦闘機が、体当たりしてB29を撃ち落とそうとしていた」

祖父はそれを見て涙が出たそうだ。

いつの空襲か、分からないが、すくなくとも名古屋は3回大規模な空襲を受けていて、軍需工場を含めた爆撃は1945年の3月あたりが有力となる。この時期に体当たりでB29を撃墜しようとした部隊が名古屋で戦闘したのか、高射砲隊の反撃は本当にあったのか、僕には分からない。調べればわかるんだろうけど、今回は、とりあえず、祖父から聞いた話をWebに残すべく筆を取った。

もしこのBlogで何か感ずる、or 知っている話があるなどありましたら教えてください。



参考資料

名古屋大空襲 Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2
















2011年12月5日月曜日

社会に期待するな、自分の未来に期待しろ

社会に期待するな、自分の未来に期待しろ

──新聞会OBより

僕はあまりに社会に甘え過ぎていて、自分で未来というか道を切り開いていかなければいけないことを忘れていた。そのために「社会がいけない」などと言って、わめいてしまうのだ。
Facebookで僕が所属するサークルのOBが言った言葉。その日あった理不尽なことをわめいていたときにこの一言が胸に刺さった。


Do not expect the society, just expect your future.

                                         from our graduated member.